「戦略的なキャリアはいらない」外資コンサルではなくグリーを選んだ一人目の新卒社員。-グリー流、20代のサバイバルストーリー島田 敏宏

Prologue

創立以来、グリーが歩んできた十数年は常に逆境と挑戦の連続であり、模索を続けた日々。
この十数年を共に駆け抜けてきた一人目の新卒社員、島田敏宏は、現在グリーグループ企業「スマートシッター株式会社」の代表取締役社長を務めます。

学生時代にインターネットと出会った彼は、慶應SFC在学中に正社員が二人しかいなかったグリーと出会いインターンを開始。そのまま、外資系経営コンサルティング会社の内定を辞退しグリーに入社しました。

会社が倒産するかもしれない。スタートアップ初期の過酷な環境を乗り越え、彼が歩んだ仕事は多岐にわたります。モバイルインターネット黎明期の新規事業開発、東証マザーズへの上場準備、会社の未来を担う新卒採用責任者、CEOを一番近くで支える社長室長、企業と社会の関係をデザインするCSRの立ち上げなど。

次なるステージは、グループ企業のCEO。バラバラに思えた経験の一つ一つが、日本の社会課題をビジネスで解決する新たな挑戦へとつながってゆく――。

「インターネットを通じて、世界をより良くする。」

規格化されたつまらないエリートになりたくなかった。

自分の人生を変えたインターネットとの出会い

私がグリーで働き始めたのは、創立から約1カ月後の2005年1月、23歳のとき。まだ大学生だったので正社員ではなく、インターン生としてでした。グリーの共同創立者であり、現在も取締役を務める山岸広太郎との出会いがきっかけです。

私が学生時代を過ごした90年代後半~2000年代初頭は、アメリカのIT業界では20歳前後の若者が次々と事業を立ち上げており、そういったニュースが日本にも流れてきていたころ。社会のあり方すら変えてしまうインターネットという存在は圧倒的に面白かったですね。私も大学生になって時間ができるとHTMLとCGIでサイト作りを覚えたりP2Pサービスで一日中遊んでいたり、自然とWebテクノロジーの世界に没頭していきました。
当初入学した某私立大学には専門的に学べる課程がなかったので1年もたたずに退学を決意し、アルバイトでお金を貯めて日本のインターネット発祥の地である慶應SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)へ改めて入学し直したほどです。

なんとかしてIT業界に身を置きたい。自分はコードが苦手だけど、得意の文章を書く仕事なら何かできることがあるかも、と大学3年から始めたアルバイト先がIT系ニュース会社の編集部でした。まだ専門知識も乏しく、毎回一つの記事を書くのに何冊もの関連本を読み、検索エンジンで最新のレポートをあさっていたので、とても勉強になりましたね。そしてその時上司だったのが、山岸です。

その後、山岸が田中良和と共にグリーを立ち上げたのを縁に、大学4年生のときにグリーでインターン生として働き始めたわけですが、当時のグリーには社員を雇う余裕などなく、正社員は田中と山岸の二人だけ。オフィスは、麻布十番にある古い雑居ビルの一室で、私を含め学生のインターンスタッフ10名程と一緒に働いていました。

失敗してもやり直せばいいだけ。そう思い決断した外資コンサル内定辞退

実はこの時の私は、外資系の経営コンサルティング会社から内定をもらっていたんです。ところが、まさにその会社に入社しようとしていた数週間くらい前に、グリーが国内屈指のベンチャーキャピタルから出資を受けることが突然決まりました。「給料を払えるようになったから社員にならないか」と誘われた私は、コンサルティング会社の内定を辞退して、グリーに飛び込みました。
エスタブリッシュな会社の内定を勝手に断ってしまったんですから、両親にはなかなか言えなかったですね。事前に相談もせずに勝手に進路を変えてしまったのは、大学の再入学に続いてこれが2度目。理解のある両親に感謝しています。

もともとコンサルティング会社に就職しようと思ったのも、インターネット業界に関わるための仕事の基礎体力をつけたいという思いがあったから。一方で、トレーニング手法やキャリアパスがグローバルで完全に統一された環境ですから、単に規格化されたエリートになってしまうのも面白くないなと思っていたのも事実です。なので、いきなりゼロからSNSのベンチャー企業をつくるというグリーでの経験は、とてつもなく魅力的で大きなものでした。キャリアでリスクを取るなら失うものがない若いうちがベストです。当時は第二新卒枠の募集も増えていたので、仮にグリーがうまく行かなくても、また次を探せば良いだけだと楽観的に考えていました。
私は基本的には慎重に物事を判断するタイプなんですが(笑)、振り返ると、人生の重要な局面では大胆な意志決定をするみたいですね。そして、その決定のキーとなり、私を突き動かしていたのは、“インターネットは面白い”という感情。自分が興味関心を持っていることに対して、徹底的に正直な判断をしていたにすぎません。

グリーのヒストリー(2004年)

2004年2月

SNS「GREE」を提供開始

2004年12月

グリー株式会社設立

土壇場からの快進撃。逆境と挑戦こそ、グリーの歴史。

半年後に会社がなくなる。その修羅場経験が人と会社を強くする

今でこそスマホが中心になっていますが、私が入社したころのグリーはパソコン向けのSNSを提供していました。
20代前半の私の仕事は、会社という器をつくること。と言えば、かっこいいですが、入社当初は部署もなければ、仕事もまだきちんと定型化されていない状況だったので、名刺のデザインから採用面接、サービスの企画書や仕様書の作成まで、とにかく仕事を選ばずなんでもやっていました。

初めて大きな仕事を任されたのは入社1年後の2006年、25歳の時です。KDDIとの共同事業でモバイル向けSNSを作るという、文字通り社運をかけたプロジェクトに携わることになりました。当時は、携帯電話からインターネットサービスを利用するのがようやく始まったばかり。モバイル向けSNSなんて果たしてうまくいくのか、先行きはまったく不透明でした。

ただ、新しいチャンスを見つけていかなければグリーに未来はない、ということだけは確かでした。実は、グリーは最初の資金調達をしてからずっとユーザーが減って赤字が続いていて、KDDIとの提携があと半年遅れていたら倒産していたかもしれませんね。当時、投資銀行から転職してきたCFOの青柳が資金残高をシミュレーションして全社員に説明していたのをよく覚えています。入社2年目でそういう修羅場経験を積めたのは良かったですね。当時のグリーは、役員ですら30歳前後の若い会社だったから、年齢や立場なんてあまり関係なかったです。生き残るという目標に向けて全員で真剣に動いていました。

この時のプロジェクトが、2007年の世界初のモバイルソーシャルゲーム「釣り★スタ」の大ブレイクにつながっていきます。さも確信を持って“当てにいった”ように聞こえますが、実際はモバイル向けSNSの提供をスタートしたものの、当初はパッとしなかった。そこで、サービス開発を担当する社員の発案でいくつかのユーザー活性化施策が投入されました。そのなかの一つがモバイルソーシャルゲームだったんです。占い、Q&A、デコメールなどいくつものサービスを提供してみた結果、唯一たまたま大ヒットしたのがモバイルソーシャルゲームだった。

土壇場でも投げ出さず、そこに少しでも可能性がある限り模索し続ける。たった一つの社員のアイデアが基で、業界の勢力図が一変する──。グリーの軌跡は、私が入社時に描いていた理想そのものだったと思います。

グリーのヒストリー(2006年〜2007年)

2006年7月

KDDIと資本提携。モバイル向けSNS「EZ GREE」を提供開始

2007年5月

世界初のモバイルソーシャルゲーム「釣り★スタ」をリリース

「オレだって社長やるの初めてなんだから、やればできる。」“できないこと”を“できるようにする”のが本当の仕事

分からないなら、分かる努力をすればいい

2008年の1年間は経営企画の部署に属し、東証マザーズ上場に向けたプロジェクトチームのメンバーに、2009年には経営管理チームのリーダーを務め、2年間ほど経理・財務・総務に携わりました。
組織がどんどん変化していくなか、20代はそんなふうにいろいろな課題を経験しながらキャリアチェンジをしました。それまでとはまったく異なる分野に突っ込まれ、仕事を任されるわけですから、当然ですが毎回その分野の知識はゼロからスタートします。
アサインされた後で、死にもの狂いで知識やスキルを身につける。それが、当時も今も変わらない私のスタイルです。上場プロジェクトへの参加が決まったときも、本屋に行って資金調達やコーポレートガバナンスの本を選び、朝6時に起きてそれらを読んでから出社し、週末になればぶっ続けで何時間も必死に勉強し、そして、翌週からさも前から知っていたような平気な顔で証券会社とのミーティングに臨む。

経理の知識もそう。私はそれまで簿記3級すら学んだことがなかったのですが、ある日唐突に「島田君、経理のマネージャーが採用できないから代わりにやってくれ」と田中に言い放たれた時はさすがに衝撃でしたね。「いや、簿記なんてやったことないからムリです」と断ると、田中は間髪入れず「そんなことは知ってる。オレだって社長やったことないのに起業したんだから、やればできる!」と無茶苦茶なこと言うんですよ(笑)。そう言われたらやるしかない。それから毎晩深夜2時ごろまで実務に必要な仕訳を一個ずつ覚えました。グリーのバリューに「常に前向きに挑戦する。成功するまでやり続ける。」というのがありますが、たとえ未経験の領域であっても、きちんと向き合って努力すれば意外と切り抜けられるものだと思いましたね。

私はずっと、自習力というか、自分で物事を学ぶ訓練は大切だと思っています。まずは、新しい課題にぶち当たったときにそれを分解し、どこの知識を補うべきかを特定し、次にどの本で基礎を学ぶべきなのかを精査することから始める。与えられた研修プログラムをこなすだけでは、自分が今何を身につけなければならないのかを割り出すことはできません。学校を卒業した全ての社会人は、自分で学び、自分で成長し続ける姿勢が問われますし、最も重要な能力だと思います。

新しいことを学ばなければならない環境に置かれると、人間やる気になるものですよね。定期的にそうした機会をつくってもらえて、しかもそれが、その時々で自分がやりたいと思っている仕事とマッチしていた。上司がきちんと私のことを見てくれていたんだと思います。このころはどれも常に社運がかかってましたから(笑)、あまり遊んだ記憶はないですが、20代でまだ独身だったので、それでもあまり気にならなかった。仕事への興味──そのエネルギーの方がはるかに大きかったです。

グリーの「ミッション」

グリーのヒストリー(2008年〜2011年)

2008年12月

東証マザーズに上場。2010年6月には東証一部上場

2010年7月

六本木ヒルズ森タワーに本社移転

2011年1月

初の海外拠点となるGREE International.Inc.を設立

専門性を”売り”にしたら負けると思った。経験×スキル×決断回数で、希少性を追求する。

オーナーシップを持つことで成長が加速する

2010年に六本木ヒルズにオフィスを移転してからは、海外展開をスタートするなど社員数は急増しました。拡大し続ける組織の中でもグリーカルチャーを色濃く受け継いでいくために、2011年には初めて大がかりな新卒採用活動を展開し、その責任者を務めました。その後2012年頭に社長室ができると、室長として田中の過密な業務を総合的にサポートし、広報と連携しながら彼の思いを社内外に発信することに奔走しました。また、直近の2013年から2015年にかけてCSRの責任者として企業ブランディングに関わる仕事をしました。

自分が作った書類のたった一カ所が間違っているために上場審査がストップしてしまうかもしれない…。新卒採用の場面では、自分が伝えるメッセージ次第で1年後の10%の戦力が変わってくる…。社長室長時代も、CEOの時間という有限な経営資源をどの案件に優先的に振り分けるべきか、毎日ずーっと考えていました。
小さな一つ一つの判断の積み重ねがこの会社の未来に与える影響たるや半端じゃありません。最良の判断ができるか、できないか。全てはそこにかかっているのですから、どれも自分なりにギリギリまで悩んだ上で決めてきました。

グリーのように変化の早い組織にいると、若くして一事業や一プロジェクトのリーダーシップを取れるチャンスが数多くあります。すなわち、自分の頭で考えて決断できる回数が多いということ。規模の大小を問わず、自らが悩みながら自らの裁量で意思決定していくことは絶対に忘れることができない経験であり、自身のキャリアとして何ものにも代えがたいチカラになる。それが、グリーで仕事をする醍醐味だと私は考えています。
たとえば経営コンサルティング会社であれば、どれだけ良いアイデアを出し、素晴らしい分析をしても意思決定のオーナーシップは握れないのですから。

逆算でキャリアを計画することは不可能

一つ一つの仕事はどれも1年ほどしかやっていないわけですから深まるものではありませんが、物事を理解するスピードは早くなり、判断するための知識の幅も広がりましたね。いろいろな部署を経験するたび、自然とポイントをつかむ力も高まっていきます。物事を判断する反射神経や瞬発力も上がっていると思います。

特定の専門性のみで勝負するとその分野の本当に優秀な人たちには負けます。グリーにもどんどん有能でプロフェッショナルな仲間が加わってきますから、専門性とはまた別の軸で勝負しないと生き残れない。
とにかく新しい領域に入っていって、誰よりも早くポイントをつかんで実績を積み、自分の経験に新しいタグを増やしていく。総合的な問題解決能力を問われるような未開拓の領域にどんどん行ってユニークな存在になるしかないんです。そしてそこでものを言うのが、規格化された専門性ではなく複数の異なる経験とスキルの組み合わせだと思います。

そもそも、先の見通しが立てにくい時代だし、インターネット業界はより変化が激しい。数十年後の目標から逆算する計画型のキャリア開発など成り立たないと思います。むしろ、目の前の課題解決に没頭しながらスキルや経験を磨くことで、新しい自分の能力との偶然の出会いや知見の広がりを楽しんでいく方が合っているように思います。キャリアはあえて戦略的に考え過ぎないようにするのが私のポリシーです。

グリーのヒストリー(2014年)

2014年7月

スマートシッター株式会社を設立。8月からサービスを提供開始

Webテクノロジーとアントレプレナーシップを通じて、社会の課題に挑戦する。

「人に、社会に、仕事にまじめ」なインターネットビジネスを実現させる

ゼロから会社をつくる経験が積める。そんな魅力に惹かれて社員となってから、10年が過ぎましたが、私もグリーという会社もまだ道半ばです。うまくいくことが約束されていないことにゼロから挑戦する。それは、沿革からは分からない七転八倒の連続だったかもしれません。でも、そんなときに味わったシビれるような経験は、間違いなく自分の成長の糧になっています。

昨年10月に、グループ企業「スマートシッター株式会社」の代表取締役社長に就任しました。「スマートシッター」はグリーの新規事業としてスタートしたサービスです。高い保育スキルを持った保育士などの人材とベビーシッターを必要とするご家庭をスマートフォンを通じて直接マッチングするシェアリング・エコノミー型プラットフォームを提供しています。

この仕事に取り組むにあたっては、直近3年間CSRの仕事での経験が生きています。教育分野へのゲームの活用、社員ボランティアプログラムの開発など、さまざまな社会貢献活動を実施しながら、社会とグリーのより良い関係性を模索しました。なかでも、活動を通じて知り合った多くの同世代の社会起業家たちの活躍から非常にポジティブな刺激をもらいました。社会の課題にビジネスチャンスを見いだし、革新的なビジネスモデルできちんと収益をあげ、持続可能な社会をつくる。この大切さや面白さを学びました。

グリーのCSR活動紹介冊子「OUR ACTIONS」

これだけインターネットが浸透してきた現代においても、インターネット化されていない領域はまだまだたくさんあるし、グリーの強みであるインターネットビジネスのノウハウで解決できる問題はたくさんあると思っています。特に、子育て環境の整備や保育人材市場の活性化は、日本の未来を考える上で極めて重要なテーマだと思います。こうした社会的な課題に対して、Webテクノロジー、アントレプレナーシップ を通じて挑戦するというのは、私にとってもグリーにとっても新しいステージに進むためのチャレンジです。もう成功させるしかないですよね。

グリーが求める人材──。それは、インターネットが大好きで、環境の変化を楽しめる方です。ゼロから何かを創り出そうとするときには、必ず変化が伴います。そのたびに自分に必要なものを学び取っていける人。そんな方たちとまた、成功が約束されていない新しい領域を開拓していきたいですね。

グリーのヒストリー(2014年)

2014年12月

グリー株式会社創立10周年